アメリカンウイスキーについて調べているとかなりの高頻度で「禁酒法」の話が出てきます。それも当然で、禁酒法時代はほぼすべての蒸溜所が生産を停止しており経営に苦労をしたという歴史があります。
調べる前は「法律でお酒が飲めなくなったんでしょ?」ぐらいの認識だったのですが、実は一般の人はお酒を飲んでいたし、飲んでも法的に問題がなかったことや、禁酒法が現在のウイスキーに与えた影響などを知って面白いな~と思ったので、今回はそんな「アメリカ禁酒法」について解説したいと思います!
禁酒法とは
禁酒法とはアメリカ合衆国において、1920年から1933年まで施行された法律で、0.5%以上のアルコール商品の製造・販売・輸入が禁止されていました。
これは、キリスト教の影響で禁酒に対する考えが昔からあり、19世紀半ばからその勢いが強くなっていました。そんななか、1917年に第一次世界大戦においてアメリカがドイツに宣戦布告をしたことをきっかけに、ドイツ=ビールというイメージと、当時のアメリカのビール製造会社のほとんどがドイツ系だったことから禁酒派の勢いが強くなり、禁酒法が成立したという背景があります。
禁酒法時代もアメリカ人は普通にお酒を飲んでいた!
禁酒法で禁止していたのは飲料用アルコールの製造・販売・輸入であり、「飲酒」自体は禁止していませんでした。そのため、家にあるお酒をいくら飲んでも法律的に問題ありませんでした。
また、禁酒法の成立が決定してから実際に施行されるまでに1年間の猶予期間があったため、国民はみな禁酒法にそなえてお酒を大量に買いだめたそうです。そのせいで、むしろお酒の消費量が上がったといわれています。
また、一部のウイスキーに医療効果があるとして医療目的でのお酒の製造・輸入は一部認められていました。ラフロイグなどは医療目的として輸入されていました。
スピーク・イージーとは
スピーク・イージーとは禁酒法時代の違法酒場のことを指します。「ひそひそ話す」という意味で、ニューヨーク市だけでも3~5万軒もあったそうです。禁酒法が施行されてからもこのような違法な場で飲酒が行われており、大きなビジネスの一つであったそうです。現在ではスピーク・イージーは「レトロなバー」を指す言葉として使われています。
禁酒法によって得した人
禁酒法が施行されたことで、大きく損をした人と逆に得をした人たちがいます。
損をした人たちは言うまでもなく酒類の製造・販売・運搬に関わっていた人たちです。いきなり職業が無くなるわけですから、どれほど苦労をしたか想像しきれません。アメリカ国内だけでなく、アメリカを主な輸出先としてお酒を製造していたスコッチやアイリッシュウイスキーの蒸溜所なども打撃を受けました。
得をした人
損をした人たちがいる傍らで、大きく得をした人たちがいます。
その代表がアル・カポネ(1899-1947)です。アル・カポネはアメリカのギャングで酒の密造・密輸・密売を行い多額の財産を築きました。映画『アンタッチャブル』でロバート・デニーロが演じたことで知っているひともいるのではないでしょうか?当時は警察内部や裁判官、市議会議員への買収・賄賂が行われておりアル・カポネは「酒の密売」で築いた富を使い、実質的な市長ともいえる存在になったといいます。
禁酒法がなければ、正当な価格で取引されていたであろうお酒によって、このように巨万の富と地位を築きました。
また、禁酒法によって隣国であるカナダの蒸溜所も得をしました。スコッチやアイリッシュは船を使わなくては密輸ができなかったのに対し、カナダは隣国であることから様々な方法でお酒を密輸できたからです。アメリカ国内でお酒を製造することができなくなったため、ウイスキーなどはカナダからの密輸に頼ることとなり、カナダのアメリカへの輸出量(密輸量)が増加したそうです。
密輸が盛んに行われるようになるとリアル・マッコイという言葉が登場しました。当時はお酒の密輸がビッグビジネスであったため、粗悪品も大量につくられたといいます。そんななか、マッコイという人物が運んでくるウイスキーは本物(リアル)であると評判が立ち、皆リアル・マッコイのお酒を求めたそうです。所説ありますが、この話が由来となり現在では「リアル・マッコイ」は「正真正銘の」という意味の慣用句で使われるようになったそうです。
参考
『ウイスキー通』土屋守 新潮社
おわりに
以上、アメリカ禁酒法について紹介しました。
法律で禁止されても、何が何でもお酒を諦めない「人間の酒好きさ」がひしひしと伝わってきて、いつの時代も大して人間の欲は変わらないんだな、などと考えながら記事を書きました(笑)
「禁酒法」が二度と施行されないことを祈りましょう!
乾杯!
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